浜口書庫

富江は

「さんごの歴史がある その2」

祭り

サンゴ祭り 即売会売り場

 

祭り

サンゴ祭り 即売会の様子

 

なぎなた衣装の専務(当時9歳)

 

 



毎年、8月のお盆前に行われる富江まつり。
富江小学校のグラウンドには焼き鳥やかき氷などの屋台が並び、特設ステージでは歌謡ショーやビンゴ大会といったイベントが行われます。住民に加え、帰省中の人々でグラウンドはいっぱいになり、たいへんな賑わいを見せます。お祭りのフィナーレには港から花火が打ち上げられ、富江の夜空が明るく照らされます。ところでこの富江まつり、元々は「サンゴ祭り」という名称でした。

サンゴ祭りの始まり
    サンゴ祭りの始まりは昭和49年。いまから46年前のことです。
五島サンゴ工芸協同組合が主催し、富江町商工会、富江町が協同したサンゴの展示即売会として企画され、3日間の日程で開催されました。富江小学校の体育館に島内外のサンゴ販売業者によって商品や資料が並べられ、買い付けには日本のみならず、海外からもバイヤーが訪れていたそうです。
当時の資料によれば、富江町内からは30以上のサンゴ業者が参加し、サンゴだけでおよそ8000点、特産物を含めると12000点もの品々が並べられたとのことです。
現在富江町内で営業を続けるさんご販売業者は4件といわれています。当時の富江がどれほどサンゴで賑わっていたか、想像しただけでその熱気が伝わってきますね。

浜口水産となぎなた踊り
   また、即売会だけではなく、富江小学校グラウンドには現在と同じようにステージが設けられ、島外から訪れた短大の学生がハワイアンバンドを催したり、町民たちは伝統的な念仏踊りであるオネオンデ*やなぎなた踊りを披露しました。
特になぎなた踊りは浜口水産の旧工場があった富江町・小島地区に伝わる念仏踊りです。その昔、小島地区で鯨漁が盛んに行われていた頃、鯨漁で夫を亡くした後家たちが銛を持って魂を鎮めるために始めたのが発祥といわれています。
浜口水産の社長、常務、専務の三兄弟も小学生のころ、サンゴ祭りでなぎなた踊りを披露したことが印象深く記憶に残っているそうです。専務である三男・貴幸は「夏休みになると同時に練習を開始した。本番が終わった後、近所の食堂で一杯のカツ丼を食べることを楽しみに日々練習に励んでいたことがいい思い出だ」と、しみじみ語っています。

富江まつりとして
   サンゴ祭りから現在の富江まつりへ名称が変わったのは昭和59年のことです。大掛かりなお祭りということもあり、サンゴ販売業者への経済的な負担が大きくなったことが原因のひとつといわれています。
富江まつりへと名称が変わり、お祭りの期間は3日間から2日間へと短縮されることとなりましたが、屋台や催し物はそれまでの内容を引き継ぐものとなっています。最終日の夜には花火が打ち上げられたことが記録に残っており、36年経った現在まで続いています。
しかしその富江まつりも、人口や寄附金の減少、さらには天候不良も重なり、6年ほど前から1日だけの開催となってしまいました。さらに今年は新型コロナウィルス感染症の影響で残念ながら中止となりました。富江の歴史と記憶を受け継ぐ富江まつり。また来年、富江の夜空が花火で彩られる日を楽しみに待ちましょう。



*オネオンデ
五島の富江地区に伝わる伝統的な念仏踊り。腰蓑を身につけ、歌と太鼓と鉦(しょう)に合わせて踊る。
島内でも衣装や呼び方が異なり、福江ではチャンココと呼ばれる。現在では、初盆にお墓の前で踊られる。